|
ヴィッカース 6トン戦車(ヴィッカース 6トンせんしゃ)は戦間期にイギリスのヴィッカース・アームストロング社が開発した戦車で、ヴィッカース Mark E(Mk. E)の名でも知られる。1928年に完成、イギリス陸軍には採用されず海外輸出用として生産され、多くの国で戦車部隊の基礎となっただけでなく、いくつかの国では独自の発展型も生み出された。第二次世界大戦においても、なお数カ国では現役であった。 == 開発 == 1928年、ヴィッカース=アームストロング社は、自主開発によって新しい戦車を完成させた。当時としては新機軸と言えるアイデアや機構を盛り込んだ設計であった。 サスペンションは特許を取得したボギー式のものであった。これは4個の小型転輪を1組としてリーフスプリングで懸架したボギー式転輪を配置するスタイルで、シンプルな機構ながら追従性は良好で、この後、多くの戦車がこれに倣った。ピッチの細かいマンガン鋼製の履帯は軽量ながら堅牢で、耐用走行距離は3000マイル(約4800km)あった。車内通話装置を備え、後期には短波無線機も装備した。 当初から、機銃2丁装備の双砲塔型、砲と機銃を装備の単砲塔型の2種が想定されており、特に単砲塔型では、砲と機銃が同軸に装備されていて、これも当時では新機軸だった。また武装ほか装備も顧客の要望に従って変更可能というのもメーカー側のアピールポイントだった。 車体はリベット構造で、戦闘室前面、砲塔周囲で最大装甲厚13mmが標準だったが、顧客の注文によっては17mmまでの増厚も選択できた。名称は6トン戦車だったが、装備によって7 tから8 t程度の重量となるのが普通だった。 イギリス陸軍には採用されなかったが、その後の10年間に、多くの国に輸出された。特に第一次世界大戦当時の旧式軽戦車であるルノーFT-17や、ビッカース・カーデン・ロイド豆戦車で戦車部隊の創設を始めた国が、次により本格的な戦車の装備を目指す際、更新機材として、6トン戦車は手頃な存在だった。 6トン戦車はソ連、日本、ギリシャ、ポーランド、ボリビア、タイ、フィンランド、ポルトガル、中国、ブルガリアに輸出され、そのうちソ連とポーランドではライセンス生産も行われて独自の発展型も生み出された。輸出先として中小国が多かったために、イギリス国内での生産台数はさほど多くなく、150輌余りと見られる。 なお「Mk. E」の呼称は、それ以前にヴィッカース・アームストロング社が作った輸出用の中戦車、「Mk. C」(日本の八九式中戦車の原型)、「Mk. D」に続く輸出用の呼称である。「6トン戦車」が会社が名付けた本来の名称で、戦車に取り付けられた銘板にも「6 TON TANK」と記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィッカース 6トン戦車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|